14 瀬戸岡歴史環境保全地域
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指定データ
指定年月日 | 昭和63年1月9日指定、平成17年8月15日区域変更 |
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位置 | あきる野市東部に位置する瀬戸岡字上賀多の地区 |
面積 | 15,337平方メートル |
自然の概要
多摩川の支流である平井川の南側に接する緑地で、平井川の河岸段丘斜面とその上下の段丘面からなる。段丘上面には都旧跡の指定を受けている瀬戸岡古墳群があり、弥生時代から古墳時代にかけての遺跡であることが知られている。
段丘上面には従来からクリ畑として経営管理され、標高差3mほどの段丘斜面をはさんで段丘下面にはスギの植林地、モウソウチク林、ウメ畑があるほか、コナラ、クヌギの雑木林がやや放置された状況で残っている。
全域が民有地であり、立ち入りはできない。
保全の方針
原則として現在の植生の状況をそのまま保全する。
瀬戸岡古墳群について
瀬戸岡古墳群は約40基の古墳からなり、これまでの調査により弥生時代から古墳時代末期の遺構と考えられてる。都下における有数の古墳群であり、大正15年に都旧跡に指定されている。
大正13年、昭和2年、昭和25年の3次にわたる学術調査の報告書によれば、発掘調査された数基の古墳について、河原石で組まれた積石塚であるが、西日本で見られるような大きな天井石が見られないことや、通常、積石塚には死者の遺体が直接または棺に納められて納置されるのに、火葬骨を収めた土師器、須恵器の骨壷が納められていることなど特異な様式があり、重要な遺跡であると位置づけている。
この地域には牛馬を放牧するための「牧」が開かれていたが、「牧」の開発には渡来人の働きが大きかったこと、積石塚が朝鮮半島の一部でも行われていた墳墓であることを考え合わせると、この古墳群は奈良時代頃の渡来人の墳墓であるとする見方もある。
指定時の植生
番号 | 植生名 | 現況 |
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19 | コナラ-クヌギ群集 | 段丘下面に広がり、古くから農用林として利用されていた樹林である。 亜高木層は高さ8~12mほどでコナラを主体とし、クヌギ、イヌシデ、ケヤキ、エノキ、ヤマザクラが混じる。低木層以下は多種の木本、草本で構成されている。 |
26 | スギ植林 | 段丘下面の一部に細く分布する、スギの植林地である。下刈のため低木層を欠き、草本層も貧弱である。 |
28 | モウソウチク・マダケ林 | 段丘下面にひろがるモウソウチク林で、一部マダケ林となっている。 |
38 | 落葉果樹園 | 段丘上面全体がクリ畑、段丘下面の一部がウメ畑となっており、いずれも林床の植生は豊富である。 |
42 | ヨモギ-ユウガギク 群集 |
区域南側の小川沿いの草地で、日当たりがよく、湿潤な立地にあり、年に何回か刈り取りが行われている。 |
G | 段丘斜面草本群落 | 河岸段丘の急な北向き斜面に生育する、草本のみの群落で、フシグロセンノウ、アキカラマツ、セントウソウ、キバナアキギリ等が見られ、春先には林床植物も見られる。 |
記事ID:021-001-20231206-009173