5 勝沼城跡歴史環境保全地域
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指定データ
指定年月日 | 昭和50年12月26日指定、平成17年8月15日区域変更 |
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位置 | 青梅市の北東部、加治丘陵の南端に位置し、師岡町一丁目、 東青梅六丁目及び吹上地区にまたがる区域 |
面積 | 120,506平方メートル |
自然の概要
加治丘陵の南端に位置し、霞川の沖積地を見下ろして、比高35mの小高い丘陵をなし、周辺が市街地化する中で、歴史的遺産と一体となった自然地を形成している。植生はスギ、ヒノキの植林とコナラ、クリの雑木林とが相半ばして分布し、一部にアカマツ林、モウソウチク林、ススキ草原があり、区域北部の谷頭のヨシ、スゲ湿地にはハンノキ林が育っている。
保全の方針
勝沼城跡の遺構はそのまま保全する。植林地は、スギ、ヒノキ等の大木を育成してうっそうとした林に導き、明るい雑木林と湿地は現状のまま保全して、歴史的遺産と一体となった多様な自然空間とする。
勝沼城跡の歴史
この区域の南半分は都史跡の勝沼城跡である。勝沼城は鎌倉末期(1300年頃)にこの地の豪族、三田長綱によって築造され、以後永禄4年(1561年)に三田綱秀が二俣尾に辛垣城を築いて移るまで、二百数十年間三田氏の居城とされてきたが、永禄6年の三田氏の滅亡後、滝山城(八王子)の支城となり、北条氏の臣、師岡山城守将景が入城し、城と土地の名を師岡と変えたため、師岡城の別名もある。師岡城は天正18年(1590年)秀吉の小田原攻めの際落城し、その後家康が武蔵国を支配するに及んで廃城とされた。今も残る土塁、空壕、郭などの遺構は、中世戦国期の平山城の面影をよく伝えている。
指定時の植生
番号 | 植生名 | 現況 |
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9 | ハンノキ-オニスゲ群落 | 水田放棄地。樹高3mのハンノキが多く、草本層にオニスゲ、チゴザサ等が優占している。 |
11 | ヨシ-スゲ湿地 | 古い水田放棄地。上層にヨシ、下層にカサスゲ、アゼスゲが優占している。 |
19 | コナラ-クヌギ群集 | 下刈り等の管理が行われている林分と、行われていない林分とに別れる。 |
25 | アカマツ植林 | 管理が行われていないため、林層は不明瞭である。 高木層をアカマツが占めているほか、林層の組成はコナラ-クヌギ群集の管理の行われていない林分に類似している。 |
26 | スギ・ヒノキ林 | この地域の約50%を占めている。樹齢はかなりの幅があり、最近植林されたものから、100年生以上のものまで分布している。 |
28 | モウソウチク林 | モウソウチクからなる竹林で、林床はノダフジ、ジャノヒゲ、ホウチャクソウ、キチジョウソウ等多様である。 |
30 | ススキ-アズマネザサ群集 | ススキが優占し、その下層にアズマネザサが繁茂している。 |
31 | ススキ草原 | ヨシ-スゲ湿地の頭部にあり、埋め立てられたところ。ススキが優占し、一部湿地が残されたところではヨシが多い。 |
32 | 人工シバ草地 | ゴルフ場の芝地。 |
45 | 耕作水田雑草群落 | ハンノキ-オニスゲ群落の隣接部の耕作水田。 |
62 | 伐採跡地雑草群落 | コナラ林の伐採跡地で、多種の低木、草本によって覆われている。 |
66 | 樹群を持った墓地等 | 平成17年に一部指定解除。 |
70 | 裸地 | 最近造成されたゴルフ場の一部。 |
その他
勝沼城跡みどりの会が保全活動を行っています。
活動内容:草刈、観察会など