特定非営利活動法人東京里山開拓団の取組

特定非営利活動法人 東京里山開拓団は、虐待や貧困などで親元を離れて暮らす児童養護施設の子どもたちとともに、放置され荒れてしまった山林や空き家を再生してふるさとを自ら創り出す活動を実施しています。
今回は八王子の里山のふもとにあって施設の子どもたちとともに創り上げてきたふるさとの家『さとごろりん美山』を訪問し、薪ストーブを囲みながら代表の堀崎さんにお話しを聞きました。

■「里山開拓」×「児童福祉」の始まり

――「堀崎さんは活動を旗揚げされる以前からご自身で里山を開拓されていたと伺いましたが、里山の開拓と児童福祉はどのように結びついていったのでしょうか」

アウトドアが趣味だった私は仕事で上京したことをきっかけに2006年から親族が持っていた八王子の荒れた山林を一人で開拓しはじめたのですが、これが楽しくて。来た人たちもみんなすぐ心を開いてまた来たいと言います。楽しいことだったからこれだけ長く続いたんじゃないかなと思います。
児童福祉政策については、大学生の時から関心がありました。当時、不登校の子どもたちをキャンプに連れていくというボランティアもしていまして、自然の中に少し滞在するだけでも子どもたちが変わっていく姿を見ていました。だからここでさらに深く里山に関わり続ければ、子どもたちがもっと大きく変わるいい活動ができるはず、という確信がありました。

――しかし実際に活動を開始されてからは2年間協力してくれる施設が見つかりませんでした。

当時は児童養護施設を20軒ほど回りましたが受け入れてくれる施設がありませんでしたね。今思えば、突然子どもたちを荒れた山林の開拓に連れて行きたいと言われても、子どもたちを任せて本当に大丈夫なのか不安になりますよね。けれど、命の危機にさらされた子どもたちの心のふるさとを荒れた山林を開拓しながら一緒に創り上げていく試みにはきっと価値があるはずと思い込んで施設を探し続けていたところ、東京ボランティア市民活動センターの紹介で活動を受け入れてくれる施設が見つかりました。

――初めて子どもたちと里山開拓が実現したときの印象についてはいかがでしょうか。

よく覚えています。小学校高学年の子どもたちが6、7人、とっても怪訝そうな顔で現地にやってきました。“荒れた山林”に行くと言われていきなり連れ出されたらびっくりしますよね。でも登って行ってみると、ブランコや展望台、ハンモックもある自分たちだけの空間があって大喜びで遊び始めました。男の子もいたので、一緒に伐った木で刀も作りましたね。里山で一日過ごし、帰る頃には子どもたちが全員、またここに来たいと言ってくれました。そんな姿を見てやはり里山には『心を拓く力』があることを実感しましたね。

――そこからは、とんとん拍子で他の施設へ広がり、現在5つの児童養護施設と連携されています。里山開拓以外では、どのようなことが行われているのでしょうか。

 児童養護施設との活動の写真はアルバムにしてクリスマスプレゼントで届けています。みんないい顔しているんです。そのアルバムを他の児童養護施設に見せるようにしたら、この活動の価値をすぐ分かってもらえるようになりました。
 でもコロナ禍になって里山になかなか通えなくなってしまいまして、ふもとの空き家をDIY改装して児童養護施設だけで滞在できる最初の「さとごろりん」を作りました。今の「さとごろりん美山」は里山のふもとで小川に面した築300年の古民家でしたが、放置されてゴミ屋敷になっていたところです。それを子どもたちと一緒にきれいにしました。ここでは上下水道がなくても、雨水をタンクに貯めたり、水をあまり使わないコンポストトイレや薪サウナを作ったりして試行錯誤します。そんな自然の恵みをフルに活かして心豊かな里山ライフを実践できるところとなっています。
児童養護施設には、貧困や虐待などの理由で親元から離れた子どもたちが職員と一緒に生活していますが、中には深いトラウマを抱えて周囲の子どもと一緒に生活することが困難な子どももいます。そうした子どもの受入れ先が見つからないときに、「さとごろりん美山」が緊急避難場所として利用されることもあります。

■一石二鳥の里山開拓を広げる「開拓者精神」
――里山を開拓することで、里山のシンボルといわれるミゾゴイもみられるようになったとお聞きしました。里山に生息する野生の生きものとの共存については、どのようなことに取り組まれているのでしょうか。

生態系への影響を確認するために自動撮影カメラによる撮影を継続することで、開拓しすぎていないか、元々いた生きものがいなくなっていないか、大型動物の生息状況を見て確認しています。様々な生きものの営みが記録されていて面白いですよ。私たちが伐り拓いて視界の拡がる広場にそんな場所を好むミゾゴイも姿を見せるようになりました。
あえて環境を保護しようとするのではなく、私たちが自らの楽しみのために里山に通い続けることが結果として多様な生態系を保全していく活動になればと思っています。これはかつて生物多様性なんて言葉がなかったときでも人々が里山に山稼ぎに通うことで生物多様性が保全されていた昔ながらのやり方でもあります。

――なるほど。児童福祉問題に取り組みながら里山の保全が図れ、まさに一石二鳥となっているわけですね。国内ではまだまだ放置され荒れ果てた山林が多く残されている中、里山開拓を他の地域へ広げていくことも考えていらっしゃると思いますが、他の人が取り組もうとするときどのようなことに留意すると良いでしょうか。

自ら実践をとおして試行錯誤しながら、「開拓者精神」を養っていくことでしょうか。ノウハウも多少は必要ですが、それ以上に困難をも自然の恵みを楽しんで生かしながら試行錯誤して乗り越えていく精神を持つことが大事なんです。
また、簡単に答えを求めるのではなく、試行錯誤自体に価値があることにも気づいていただきたいところです。前の人に倣っていくのは楽だし失敗も少ないけれど、試行錯誤して取り組んでいると、本当に志を共有できる人たちや目を向けることもなかった存在とのご縁が生まれて、今までになかったやり方で物事を解決することにつながっていくからです。
児童養護施設で暮らす子どもたちは成人して施設を出た後すぐに支えもなく自立を迫られるのが現状です。子どもたちには里山で自ら試行錯誤し開拓者精神を発揮するなかで、困難な人生にも立ち向かって生きることは辛いばかりではなく、実は楽しみながら自ら乗り越えていけることを実感してほしいとも思っています。
そして社会制度のあり方についても、かつて社会福祉制度のなかった社会で、困窮すると共有の里山に自由に入ることが許可されて、自然の恵みをいただきながら生活を立て直すということも行われていました。現代都市社会の抱える諸課題も、単にお金で支援や補助するのではなく、自らの生きる力を引き出す方法で克服するやり方もあるはずと考えています。

――最後に、実際に行動に移して活動を広げていく中で、ポイントとなることがあれば教えてください。

様々な社会課題がなかなか解決していかない根本には、『私たちの』という意識を持てないことがあると思っています。里山も実は都市とは深くつながっているのに、都会の人にとってはどこか他の世界の話のようです。東京も「私たちの東京」と思えてこそ、東京を自分のふるさととして本気で大切にしようと考えるようになり、課題解決のために行動していくことができるようになるとと考えています。

 

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